私たちは、自分の中に確固たる「私」という存在がいると信じがちです。それは不変の核のようなもので、様々な経験を経てもその本質は変わらないのだと。しかし、その「私」という感覚そのものが、実は「空（くう）」、つまり、固定的で実体のない一種の幻想だとしたらどうでしょうか。私たちが「本質」と呼んでいるものもまた幻であり、そこにあるのは絶えず変化し続ける「現象」としての自分だけなのかも知れません。
では、「現象」としての私とは何でしょうか。それは、他者や様々な対象との「関係性」から生まれるダイナミズム、すなわちエネルギーが織りなす変化や活力そのものです。エネルギーが熱や光、音を生み出すように、他者との関わりという目には見えない作用の力が、「私」という現象を立ち上がらせます。私たちは真空の中に孤立して存在するのではなく、常に何かと関わり合うことで「私」という輪郭を一時的に結んでいるのです。誰と、あるいは何と、どのように関わるかによって、そのあり方は万華鏡のように姿を変えていきます。
その対象は、人であったり、物であったり、あるいは現代ならではの存在として、人工知能であったりします。
例えば、物に強くこだわれば、私たちの内面は唯物的な価値観に染まっていきます。高級ブランドの服を纏うことで自信を得る人は、その物との関係性において「輝く私」を現象させています。お金に執着すれば、人生のあらゆる決断を損得勘定で下すようになり、いつしか「お金が全てである私」が立ち現れるでしょう。
あるいは、人との関係性に重きを置くならば、周りの人々との関わり方が人生そのものを形作ります。ある人の前では「聞き上手な私」、別な人の前では「リーダーシップを発揮する私」といったように、私たちは相手との関係性の中で異なる役割を演じ分け、その総体が「社会的な私」を構成していくのです。
そして、人工知能は、私たちの内面を映し出す新たな鏡となり得ます。対話AIに悩みを打ち明けることで、自分でも気づかなかった感情を掘り下げることができるかもしれません。しかし、その内省のツールにのめり込みすぎれば、いつしか私たちは現実の関係性から目をそらし、仮想の世界に生きる「閉じた私」になってしまう危険性も孕んでいます。
結局のところ、大切なのはこれらの関係性のバランスなのでしょう。物も、人も、そして新たなテクノロジーも、すべては「私」を現象させるための要素であり、どれか一つに偏ることは、自らを狭い檻に閉じ込めることと同義です。
確固たる「私」を探し求める旅は、やがて徒労に終わるのかもしれません。そうではなく、様々なものとの関係性の中で、しなやかに移ろい、形を変え続ける「現象」としての自分を受け入れること。その揺らぎの中で絶妙なバランスを取り続けることこそが、豊かに生きるということなのではないでしょうか。
